裕次郎さんについて ー不動産鑑定士・不動産カウンセラー京野賀典ー
先月の7月17日(命日)、石原裕次郎さん没後30年が経過しました。
私は渡哲也さんなどを従えて、体育会系的な軍団のトップとして尊敬されている石原裕次郎さんが大好きでした。
闘病生活となった時、毎朝、スポーツニッポンの裕次郎特集を読むのが日課となり、渡哲也さんと一緒に「岸壁の母」を歌うまで回復した時は本当に感動しました。
昭和62年7月18日、実務補修第16期の懇親コンペが埼玉であり、同期の中村秀紀君と私の車で参加しました。
ゴルフコンペの後は、熊谷で懇親会を行い、其の後は麻雀をやりました。
帰宅した所で、裕次郎さんのお通夜をやっているという事で、成城4丁目の裕次郎さんの自宅の前にお通夜を見に行き、就寝しました。
翌朝、夢の中に裕次郎さんが出てきて煙草をやめるようにというお告げがありました。
裕次郎さんのお陰で、昭和62年7月19日から禁煙して30年が経過しました。
先日、30年記念の裕次郎さんの番組をみて、まき子夫人の「裕さん」という言葉に夫婦愛を感じ涙が出てきました。
成城4丁目の土地(上神明遺跡内)に自宅を建設しようとした昭和55年1月に古墳時代の遺跡、土器が発見され、自宅の完成が遅れました。
当時、勤務していた東京建物㈱鑑定部加藤弘之課長が実務補修第17期の実地演習を担当しており、石原邸が良いのではという事で私も少しお手伝いをしました。
実務補修第17期の方も、成城4丁目の数寄屋造りの石原邸を概観からではありますが見れた事は、良い思い出になっているのではと思います。
石原邸の中からは、富士山が眺望できるはずなので、完成からわずかの間でしたが、部屋からの特に冬の富士山は綺麗に見えただろうなと思います。
裕次郎さんの法要毎に、自分の禁煙年数を数えてきて早30年が経過し、裕次郎さんよりも18歳年下だった自分が現在は一回り上になっている事をしみじみと感じています。
-日本アプレイザル㈱-