「昨日・今日・明日」② (新木場第2次移転協議会)
昭和53年10月、東京都は、新木場第2次移転基本方針(19.6haを時価方式で分譲.昭和56年3月末売却完了)を決めました。
当時、私(京野賀典)は、不動産鑑定士第2次試験合格後であり、不動産鑑定士の補助者として不動産鑑定評価業務に従事していました。
木場・深川の木材問屋で構成する新木場第2次移転協議会から新木場の各画地の東京都分譲予定価格について調査して欲しいという依頼を受け、故林道三郎鑑定部長と故阪本真一鑑定役、その補助者として私が担当することとなりました。
阪本鑑定役は、戦前は京城支店に勤務されていた方で、朝鮮において主に不動産金融(貸付)をなさっていました。阪本鑑定役の「朝鮮では、当社が金を貸し付けるという証文で、不動産が一晩に3回も動いたこともあり、不動産投資が盛んなんですよ。」と話してくれた事が印象に残っています。
阪本鑑定役と私とで、新木場第2次移転協議会に説明するために深川の木材会館に行きましたが、当時20代の私にとっては、江戸っ子気質の木材問屋さんの迫力は凄いなと思いました。
又、春先に資料を持って新木場に出かけた時には、貼り合わせて作った住宅地図が風に飛ばされたため走って追いかけた事、とにかく海風の強さを実感した事等を覚えています。
林鑑定部長から「積算価格を求めましょう。」と言われ、東京都に造成費用がいくら掛かったかを聞きに行きました。担当者から「元はゴミなので費用はわかりません」と回答され、かつてゴミの処分が行われた夢の島が既存の造成地となり、その夢の島の更に先の海にゴミの処分が行われ埋め立てられた造成地であり、なるほどなと思いました。
(東京湾14号埋立地について)
東京湾の埋立地の一つで、現在の夢の島・新木場エリアを言い、湾岸道路・高速湾岸線より北側が夢の島、南側が新木場です。戦前、東京湾の飛行場建設のために埋め立てが開始されたのが始まりで、資材不足で中止され、しばらくは海水浴場として賑わっていましたが、1950年代に急増し始めた都内のゴミ処理に対応するため、当地がゴミ処分場として決定され、昭和32年からゴミによる埋め立てが再開されました。昭和42年に埋め立ては終了し、11年後の昭和53年、夢の島には都立夢の島公園が開園し、現在はスポーツ施設等も建設され、かつてのゴミの島という雰囲気は無くなっています。
地盤は下がゴミであることを前提に上を固め、護岸沿いは木材加工場、その他は木材問屋等の低層建物用地として利用する場合の価格として東京都の分譲予定価格は決まっているわけですが、既存の工業用地等の価格との比較、各区画間の格差の分析等を行って、新木場第2次移転協議会に報告し、当該案件は無事終了しました。
ー不動産鑑定士 京野賀典ー